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東京地方裁判所 昭和50年(ワ)10201号 判決 1978年7月27日

原告 高岡福松 ほか一名

被告 国

右訴訟代理人斉藤健 石田貞三 ほか六名

主文

被告は、原告高岡福松に対し金七二九万六、六五〇円、原告高岡文子に対し金七八九万三、六五〇円及び右各金員に対する昭和五〇年六月三日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告両名のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その四を被告の負担とし、その余を原告両名の負担とする。

この判決は、原告両名勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告両名訴訟代理人は、「被告は、原告両名に対し、各金九四六万九、五八七円及びこれに対する昭和四〇年六月三日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、「原告両名の請求を棄却する。訴訟費用は、原告両名の負担とする。」との判決並びに原告両名勝訴の場合につき、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求めた。

第二請求の原因等

原告両名訴訟代理人は、本訴請求の原因等として、次のとおり述べた。

一  事故の発生

亡高岡榮人(以下「亡榮人」という。)は、航空自衛隊防府南基地第一航空教育隊第一教育大隊第四教育中隊所属の自衛官(二等空士)であつたが、昭和四〇年六月三日午後九時三五分頃、第四教育中隊一六〇名中の第一小隊の一員として、野外訓練を終え、帰営のため、山口県防府市大字田島所在の航空自衛隊防府南基地正門の東方約三〇〇メートルの路上(以下「本件道路」という。)左側を二列縦隊で正門に向け行進中、後方から進行してきた福元孝運転のマイクロバス(以下「加害車」という。)に追突され、頭蓋骨骨折及び頸椎骨折の傷害を受けて即死した。

二  責任原因

亡榮人は、昭和四〇年三月航空自衛隊に入隊し、以来自衛官として服務していた者であり、被告は、公務員である亡榮人に対し、同人が被告若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たつて、その生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負つているところ、これを怠つたため本件事故及び亡榮人の死亡を惹起したものである。

すなわち、本件事故当時、第四中隊は、中隊長岡崎守雄一等空尉の指揮のもとに帰営の途中であつたが、本件事故現場付近の本件道路は未舗装で、街燈は設置されておらず、しかも、本件事故当時は小雨が降り続いていたため、本件事故現場付近は漆黒の闇であつたところ、その中を隊員らは、敵からの発見を困難にするため特別に考案された戦闘服を着用して行進していたため、通行車両の運転手が隊員らの存在を識別することはほとんど不可能であつたから、被告の安全配慮義務の履行補助者である中隊長岡崎守雄としては、道路交通法第一〇条の規定に従い、右側通行を厳守させるべきであり、同じく被告の随行補助者である第一小隊長石村昌三郎としては、従前隊列の前後に配してあつた交通整理員(誘導員)の配置を解くことなく行進し、もつて、通行車両との衝突事故の発生を未然に防止し、行進過程における亡榮人の生命身体を危険から保護するよう配慮すべきであつたにかかわらず、いずれも、これを怠り、中隊長岡崎守雄は、基地正門の東方約三〇〇メートル付近から、それまで道路右側を行進していた第四中隊の隊列を左側に移動させ、道路中央寄りを行進させ、その際、第一小隊長石村昌三郎は、従前第四中隊第一小隊の隊列の前後に配してあつた懐中電燈を所持した交通整理員の配置を解いた結果、本件事故を発生させたものであるから、被告は、民法第四一五条若しくは同条の類推適用により、亡榮人及び原告両名が被つた後記損害を賠償する責任がある。

三  損害

原告両名及び亡榮人は、本件事故により、次のとおりの損害を被つた。

1  逸失利益及び相続

亡榮人は、昭和二一年一一月二八日生れの男子で、昭和四〇年三月高等学校を卒業後、直ちに航空自衛隊に入隊し、昭和四二年三月末除隊の予定で勤務し、毎月金一万二、八〇〇円の俸給を支給されていたもので、除隊後も六七歳まで四六年間稼働し、この間、毎年、労働大臣官房統計情報部編昭和四八年度賃金構造基本統計調査報告(以下「賃金センサス」という。)第一巻第二表掲示の産業計・企業規模計・旧中新高卒男子労働者の平均年収金一五四万二、二〇〇円を下らぬ収入を挙げえたものというべきところ、亡榮人の死亡の昭和四〇年六月から除隊予定の同四二年三月末までの二二か月間の自衛官在官期間については、衣食住とも被告から現物給与として給付されるほか、その間の賞与分及び昇給分を請求しないことをも勘案し、生活費及び中間利息を控除せず、除隊後については、その収入の五〇パーセントを生活費として控除し、更に、ライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除することとし、以上を基礎として、死亡時における亡榮人の逸失利益の総額を算出すると金一、二七八万七、三〇〇円となる。しかして、原告高岡福松は亡榮人の父、原告高岡文子は亡榮人の母であり、亡榮人の相続人は原告両名以外には存しないから、原告両名は、法定相続分(各二分の一)に応じて、亡榮人が被告に対して有する右逸失利益の損害賠償請求権を各金六三九万三、六五〇円あて相続した。

なお、被告は、仮に、被告に安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任があるとしても、賠償すべき損害の範囲は、亡榮入の自衛宮在任中のものに限られるべきである旨主張するが、債務不履行による損害賠償請求権の範囲が当該債務不履行と相当因果関係に立つ全損害に及ぶことは民法第四一六条の規定に照らし明らかであつて、被告の右主張は、安全配慮義務の存在する期間の問題と当該義務の違背によつて生じる損害の範囲の問題を混同したもので、失当というほかない。

2  慰藉料

亡榮入は、高等学校卒業と同時に航空自衛隊に入隊し、僅か三か月にして本件事故により死亡したもので、原告両名は、その前途を期待していた亡榮人を若年にして失い、多大な精神的苦痛を被つたところ、これに対する慰藉料は、それぞれ金二五〇万円が相当である。

被告は、原告両名と被告との間には何らの契約関係も存在しないから、原告両名は被告に対し、債務不履行を理由としては固有の慰藉料を請求できない旨主張するところ、原告両名と被告との間に直接雇用契約関係が成立していないことは被告主張のとおりであるが、被告は、亡榮人を自衛官に任用するに伴い、その両親である原告両名に対しても、亡榮人の生命身体の安全につき原告両名が有する固有の物質的・精神的利益を保護すべき義務を負つたのであるから、被告は、右義務を尽くさずして原告両名に生ぜしめた損害につき、義務不履行による損害賠償責任を負担すべきである。すなわち、雇用契約における使用者は、被用者の労務提出の状況やその生命・身体の安全にその家族員が有する重大な物質的・精神的利益を考慮するのが当然であり、現在の我国の雇用慣行においても、使用者は、被用者の種種の労働条件の決定に際し、被用者の家族の状況を考慮し、これらの者に対する福利厚生施設を整えるなど、使用者が、雇用契約の締結・履行に伴い、被用者の家族員の利益を配慮することは当然のこととされており、他方、被用者においても、使用者の側で安全配慮義務を含む雇用契約上の使用者の義務が遵守されることにより、自己のみならず自己の家族員の利益も保護されると期待するのであり、被用者の家族もまた同様の期待を有するのが通例であるから、雇用契約締結の際、被用者と使用者の間には、被用者の家族を第三者とし、使用者は、右第三者に対し、これらの者が被用者の生命・身体の安全について有する物質的・精神的利益を保護する義務を負うとする第三者のためにする契約が黙示的に結ばれていると認めるべきであり、仮に、右契約が認められないとしても、雇用契約の目的、信義則に照らし、使用者と被用者の家族との間には、右利益についての保護権利・義務関係(いわゆる第三者のための保護効を伴う契約)が存するというべきである。

仮に、右各主張が容れられないとしても、亡榮入は、本件事故により、その死の直前において重大な精神的損害を被つており、これに対する慰藉料は、金五〇〇万円が相当であるところ、原告両名は、前記法定相続分に応じて、亡榮人が被告に対して有する右慰藉料請求権を各二分の一ずつ相続したというべきである。

四  よつて、原告両名は、被告に対し、前項1、2の合計額各金九四六万九、五八七円及び右金員に対する本件事故発生の日である昭和四〇年六月三日以降支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

なお、被告は、安全配慮義務違反による損害賠償債権も、債務不履行一般と同様、催告により遅滞に陥る旨主張するが、安全配慮義務違反による損害賠償請求権と不法行為による損害賠償請求権とは、それが契約内容ないし契約的信義則の違背に基準を求めるか、一般的法秩序の違背に基準を求めるかの法的基礎の差異こそあれ、いずれも他人により違法に損害を被つた者が加害者に損害のてん補を求め、かつ、損害の公平な分担をはかるための法技術であるから、その損害てん補の内容及び範囲は両者均等であるべきであり、不法行為による損害賠償請求権の遅延損害金の起算点につき妥当するとされる条理が安全配慮義務違反におけるそれにも妥当するというべく、したがつて、被告は、本件事故発生と同時に遅滞の責を負うべきである。

五  被告の主張に対する答弁等

1  被告は、行進から帰隊する場合、正門に入る手前で人員及び装具を点検し、偉容を整えて入門するのがその職務の性格上当然である旨主張するが、道路上は車両の通行により常に危険な状態にあるから、人員及び装具の点検は入門帰隊後行うべきであり、また、たとえその必要があるとしても、それゆえに左側通行をすべき理由にはならないのであつて、道路右側で点検をし、その後道路を直角に横断して入門すれば足りるのである。のみならず、石村小隊長は、危険な左側通行を命じた後、従前隊列の前方及び後方に配していた交通整理員の配置を解いたのであるから、その安全配慮義務不履行の事実は明白である。

2  被告の主張2の事実は、争う。

3  同3の事実は、認める。

第三被告の答弁等

被告訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁等として、次のとおり述べた。

一  請求の原因第一項の事実は、認める。ただし、第四教育中隊の隊員数は一八一名であり、事故地点は正門の東方約六五メートルの本件道路上である。

二  同第二項前段の事実中、亡榮人が昭和四〇年三月航空自衛隊に入隊した自衛官であることは認めるが、その余の事実は争う。

同第二項後段の事実中、本件事故当時、第四教育中隊は、中隊長岡崎守雄一等空尉の指導下に行進を終え、帰営の途中であつたこと、本件事故現場付近の道路は末舗装で、街燈は設置されておらず、事故当時小雨が降り続いていたこと、及び基地正門の手前から第四教育中隊の隊列が本件道路左側に移動し、第一小隊長石村昌三郎が懐中電燈を所持していた交通整理員の配置を解いたことは認めるが、本件事故現場付近が漆黒の闇であつたこと、隊員らが敵から発見を困難にするため特別に考案された戦闘服を着用していたこと、及び第一小隊が本件道路中央寄りを行進したとの事実は否認し、その余の事実は争う。

三  同第三項1の事実中、亡榮人が昭和二一年一一月二八日生れの男子で、昭和四〇年三月高等学校卒業後航空自衛隊に入隊

し、毎月金一万二、八〇〇円の俸給を支給されていたこと、及び原告高岡福松は亡榮入の父、原告高岡文子は亡榮入の母であり、亡榮人の相続人は原告両名以外には存しないことは認めるが、その余の事実は争う。

なお、本件において、原告両名は、被告の安全配慮義務違反という債務不履行を主張し、それによる損害の賠償を請求しているのであるが、元来、債務不履行による損害賠償請求権は、履行されなかつた本来の債権が損害賠償請求権に転化したもので、本来の債権の延長たる性格を有するものであるから、その賠償範囲は本来の債務の範囲内に限定されるものというべく、したがつて、本件につき、仮に被告に損害賠償義務ありとしても、賠償すべき損害の範囲は、亡榮人の自衛官任用期限であつた昭和四三年三月末日迄に発生した損害に限られるべきである。

四  同第三項2の事実は、争う。

原告両名は、亡榮人の死亡により精神的苦痛を被つたとして、原告両名固有の慰藉料を請求するが、原告両名と被告との間には何らの契約関係も存在しないから、原告両名の右請求は失当である。

五  同第四項の事実は、争う。

仮に、被告に損害賠償責任ありとしても、元来、債務不履行による損害賠償債務は、債務不履行により期限の定めのない債務として成立し、催告により遅滞に陥るのであるから、本件については、被告は、本件訴状が送達された日の翌日から遅延損害金を支払う義務を負うにすぎないというべきである。

六  被告の主張

1  本件道路は、防府南基地正門前を、その外周沿いに東西に通じる幅員一三メートルの歩車道の区別のない直線道路で、見通しは極めて良く、夜間の通行車両は著しく少なかつたところ、本件事故当日、第四教育中隊第一小隊長石村昌三郎は、同小隊が最後尾小隊として正門に入門する前、同小隊隊員四八名を本件道路左側端沿い(南側端沿い)に二列縦隊に整列させ、交通整理員の配置を解き、隊列内に入れ、人員及び装具を点検して隊形を整え(その位置は、隊列先頭部が正門の東方約一〇数メートル、最後尾が約六五メートル付近であり、隊列の右側は道路左側から約〇・六メートルであつた。)、正門に入門すべく前進を開始させた直後、加害車が隊列最後尾に衝突してきたため、亡榮入は加害車左前部に衝突され、他数名とともにはね飛ばされたのである。

なお、本件事故当夜の月齢は三・二日であり、本件事故現場付近は、正門内の警衛所及び正門前の飲食店の照明により、漆黒の闇というほど暗くはなく、また、隊員らは濃緑色の作業服上に紺色の雨衣を着用していたが、これらは敵からの発見を困難にするため特に考案された戦闘服ではない。

しかして、自衛隊は、わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対しわが国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる任務を負つており(自衛隊法第三条第一項)、自衛隊員は、右自衛隊の使命を自覚し、一致団結、厳正な規律を保持し、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たるべき責務がある(同法第五二条)から、右自衛隊の任務及び自衛官の服務の本旨に徴すれば、隊員が管理行進から帰隊する際、正門から入門する手前で人員及び装具を点検し、偉容を整えて入門すべきは当然というべきところ、前記のとおり、本件道路の幅員は一三メートルもあり、かつ、隊列の右端は道路左端から幅〇・六メートルを占めたにすぎず、左側を行進する距離も約六五メートル程度にすぎなかつたのであるから、本件道路左端に第一小隊を整列させ、人員及び装具を整え、偉容を整えて入門しようとした石村昌三郎の措置が、隊員らの生命及び身体に対する安全配慮の点において、信義則に反する程度にまで欠けていたとはいいえず(仮に、本件道路右側に整列させた後入門するなら、入門時、長い隊列が鍵形に本件道路を横断することになり、却つて交通の障害となる。)、かつ、懐中電燈を所持する交通整理員の配置を解き隊列内を歩行させた点も、管理行進が入門時保持すべき偉容の面からすれば、やむをえない措置であつたというべく、石村昌三郎に過失はなかつたのである。

2  のみならず、本件事故は、当日夕刻清酒三合を飲み、呼気一リツトルにつき〇・五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、正常な運転が不可能な状態で、前照燈を下向きにし、サングラスを着用し、時速五〇キロメートルで加害車を暴走させた福元の重大な過失に起因するもので、原告主張の安全配慮義務違反とは相当因果関係がない。

3  本件事故により、原告両名は、自動車損害賠償責任保険(以下「責任保険」という。)から各金五〇万円の支払を受け、原告高岡福松は、防衛庁職員給与法第二七条第一項の規定により準用される国家公務員災害補償法の規定に基づく遺族補償一時金金五九万七、〇〇〇円及び葬祭補償金三万五、八二〇円を受領した。

第四証拠関係 <略>

理由

(争いのない事実)

一  亡榮人は、航空自衛隊防府南基地第一航空教育隊第一教育大隊第四教育中隊所属の自衛官(二等空士)であつたところ、昭和四〇年六月三日午後九時三五分頃、第四教育中隊中隊長岡崎守雄一等空尉指揮下に、第四教育中隊第一小隊の一員とし、野外訓練を終えて帰営するため、山口県防府市大字田島所在の航空自衛隊防府南基地正門の東方路上(本件道路上)を二列縦隊で基地正門に向けて行進中、後方から進行してきた福元孝運転に係る加害車に追突され、頭蓋骨骨折及び頸椎骨折の傷害を受けて即死したこと、及び本件道路は、未舗装道路で、本件事故現場付近に街燈は設置されておらず、本件事故当時小雨が降り続いていたこと、並びに第一小隊は、本件事故現場付近で本件道路左側に移動したが、その際、第一小隊長石村昌三郎が、従前、隊列の前後に配してあつた懐中電燈を所持した交通整理員の配置を解いたことは、本件当事者間に争いがないところである。

(本件事故発生の状況等について)

二 右当事者間に争いのない事実に、<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、(一)亡榮人は、航空自衛隊防府南基地第一航空教育隊第一教育大隊第四教育中隊第一小隊第二分隊(第四教育中隊は第一小隊ないし第三小隊により編成され、一小隊は二分隊から編成されていた。)所属の自衛官であつたが、本件事故当日、第四教育中隊(隊員数一八一名)の行進演習に参加し、帰隊中、防府南基地正門の東方の本件道路に至つたこと、(二)本件道路は、防府南基地正門前を基地の北側外周に沿つて東西に通じるセンターラインによる区分及び歩車道の区別のない幅員一三メートルの未舗装道路で、本件事故現場付近は、街燈はなく、南方は防府南基地となり、北方は田となつて、付近の燈火は基地正門前の飲食店及び基地正門内の守衛所だけで、本件事故当時は小雨が降り、極めて暗く、通行車両は少なかつたこと、(三)第四教育中隊は、正門の約七〇メートル東方において北方から本件道路とT字型に交差する防府北基地に至る道路(以下「交差道路」という。)から本件道路に行進進入したが、その際、第一小隊長石村昌三郎は、本件道路右側で人員及び装具を点検し偉容を整えて正門へと本件道路を横断行進した場合生じうる交通渋滞を避けるため、第一小隊隊員(参加人員四八名)をして交差道路から直ちに本件道路南端に本件道路を横断させ、最後尾を正門の東方約六五メートル付近とし、西方から第一分隊、第二分隊の順序で東西に二列に整列させ、人員及び装具の点検をした後、正門から入門すべく、行進を再開させ、二、三歩歩行したところ、後方から道路南端から一・五メートル付近を同方向に直進してきた福元孝の運転する加害車が、南端から約二メートル付近を歩行していた亡榮人ら四名の後尾右側隊列の隊員らに衝突して、はね飛ばし、その結果、亡榮人が即死したこと、(四)福元孝は、同日午後六時頃から七時頃までの間に日本酒二合強を飲酒した後、呼気一リットルにつき〇・五ミリグラム以上一ミリグラム未満程度のアルコールを保有し、加害車を運転し、山口市方面に向かい途中で引き返すところであつたが、サングラス付の近眼鏡を着用し、前照燈を下向きにしたまま時速約五〇キロメートルで本件道路を西方に直進中、前記交差道路の通行状況を確認した直後、約六、七メートル前方に黒い影(亡榮人ら)を発見し、慌てて右にハンドルを切り、衝突を避けようとしたが、間に合わず、これに衝突し、その瞬間人間であることに気付いたこと、(五)亡榮人ら隊員は、当時濃緑色の作業服の上に紺色の雨衣を着用し、肩にカーキ色の雑嚢袋を掛け、腰に弾帯及び水筒を着け、淡緑褐色のヘルメツトをかぶり、カービン銃を背負つていたもので、夜間の通行車両の運転手からは極めて識別し難い服装をしていたのであるが、行進中、隊員らの歩速等は、空自訓練資料〇〇六-三-六基地整備(訓練)IV中の行進の要則(教範)により規制され、歩幅は民間人のそれより若干広く、上官の命令がない限り、自由に通行場所を選択することも勿論、後方を振り向いて後方車両の有無を確認することは許されていなかつたこと、並びに(六)第一小隊は、石村昌三郎の命令のもとに、本件道路に至るまでの間は道路右側を(直前の交差道路は教範に則して左右一列に分かれて)行進したが、本件道路に至り、道路左側(南側)に整列するとともに、従前隊の前後に各二、三名ずつ配していた交通整理員(通行車両が行進を妨害しないように車両に徐行又は停止するよう連絡又は通告する任務を有する隊員)及び隊列の外側道路中央寄りを点燈した懐中電燈を保持し、通行車両の安全を確認しつつ歩行する各分隊の班長(分隊長)及び班付(分隊長の補佐)計四名の配置を解き、いずれも隊列内を歩行させたため、隊列後方には、後方車両の安全の確認に当たる隊員は誰もなく、後尾の隊員らは加害車に衝突される寸前までその存在に気付かなかつたこと、以上の事実を認めることができ、<証拠略>中右認定に反する部分は、前段認定に供した各証拠に照らし、にわかに措信しえず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(責任原因)

三 被告は、信義則上、自衛官として服務する亡榮人に対し、国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たつて、その生命及び健康を危険から保護するよう配慮すべき安全配慮義務を負つているものであるところ、上叙認定の事実によれば、被告の右義務の履行補助者である第一小隊長石村昌三郎は、第一小隊が交差道路から本件道路に進入した際、本件道路北端(右側)で人員及び装具の点検をした後偉容を整えて正門前で本件道路を横断した場合に生じうる交通渋滞を回避するため、第一小隊をして、そのまま本件道路を横断させ、本件道路南端(左側)に整列させて人員及び装具の点検をし、偉容を整えて行進を再開させたものであるが、このことが、自衛隊法第三条及び第五二条にいう自衛隊の任務の達成及び隊員の服務の本旨に則応し、かつ、本件道路の交通渋滞を回避するためやむをえない措置であつたとしても、隊員らの行進方法は行進の要則により規制され、上官の命令のない限り、自由に通行方法を選択することは勿論、後方車両の有無を確認することも許されていないのであり、ヘルメツトを着用し、銃を背負い、視野及び行動が物理的にも制限されていたうえ、夜間、通行車両運転手から識別の困難な濃緑色の作業服上に紺色の雨衣を着用していたのであるから、かかる隊員らを本件事故現場のような暗い雨中の道路左側を約二メートル幅の隊列で歩行させる以上、当時、車両の通行が少なく、道路幅員が一三メートルあつたことを考慮に容れても、従前の右側通行時以上に通行車両との接触事故の予防に注意を払い、後部の交通整理員あるいは各分隊の班長及び班付の配置を解くことなく、交通整理員らをして行進中の隊員らに後部車両の接近を警告させるほか、懐中電燈等により後部車両の運転手に対し隊列の存在につき注意を喚起させるなどして、行進中の隊員の生命及び身体を後部車両との接触事故から保護すべく配慮しつつ隊員らの行進を管理すべき義務があつたものというべきである。

しかるに、前記認定のとおり、被告の履行補助者石村昌三郎は、このような配慮をすることなく、第一小隊を本件道路左側に整列させた際、それまで配置していた交通整理員及び各分隊の班長及び班付の配置を解き、隊列内を歩行させたものであるから、この点において、被告は亡榮人に対する安全配慮義務を怠つたものといわざるをえない。被告は、入門時の偉容の保持のため、石村昌三郎の採つた右の措置はやむをえないものであり、無過失であつた旨主張するが、偉容保持の必要があつたからといつて、僅か二、三名の交通整理員の隊列後部への配置が偉容を害するものとは到底認め難いところであるから、理由がないものというべく、したがつて、被告はその履行補助者である石村昌三郎の安全配慮義務の不履行に起因する本件事故により亡榮人の被つた損害を賠償する義務がある。

なお、被告は、本件事故は、当日夕刻、飲酒後、呼気一リツトルにつき〇・五ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、正常な運転が不可能な状態で、前照燈を下向きにし、サングラスを着用し、時速約五〇キロメートルで加害車を暴走させた福元孝の重大な過失に起因するもので、本件事故と被告の安全配慮義務違反との間には相当因果関係がない旨主張し、福元孝が、本件事故当日夕刻二合強の清酒を飲酒し呼気一リツトルにつき〇・五ミリグラム以上一ミリグラム未満程度のアルコールを身体に保有したうえサングラスを着用し、前照燈を下向きにした加害車を時速約五〇キロメートルで直進運転していたことは前記認定のとおりであるが、右の程度のアルコール保有量は微酔と軽酔の中間程度で、未だ深酔に至つておらず、運転機能の低下をきたしていたことは容易に推認しうるけれども、<証拠略>によれば、同人は、本件事故前相当距離を走行し、その間対向車との擦れ違い時には前照燈を下向きにし、交差道路の交通状況を確認しつつ走行する等、運転上必要な注意を一応は払いつつ走行してきたことが認められるのであるから、自動車の運転上必要な注意力及び運動能力はなお相当程度有していたものと認めるのが相当であるから、もし、隊列後部に配置された交通整理員らが、懐中電燈等で隊列の存在につき同人に対し警告を与えた場合には、同人は、予め徐行し、右にハンドルを切る等して、本件事故を十分避けえたものと推認しうるのみならず、交通整理員が配置されていた場合には、加害車の接近につき、亡榮人らの隊員に対しその危険を警告し、亡榮人らは本件事故を避けえた(加害車と道路南端との間には約一・五メートルの間隔があつた。)ものとも推認しうるのであるから、被告の右主張も採用できない。

(損害)

四 よつて、以下亡榮人が本件事故により被つた損害につき判断する。

1  逸失利益

亡榮人が昭和二一年一一月二八日生れの男子で、昭和四〇年三月高等学校卒業後直ちに航空自衛隊に入隊し、本件事故当時二等空士として服務し、毎月金一万二、八〇〇円の俸給を支給されていたことは当事者間に争いがないところ、亡榮人は三年の任用期間で採用されている者である(自衛隊法第三六条第一項)から、本件事故に遭遇しなければ満六七歳まで四八年間稼働しえて、このうち昭和四三年三月までは、少なくとも毎月右割合による俸給を、自衛官を退官した後は、当裁判所に顕著な各年度の労働大臣官房労働統計調査部(情報部)編の賃金センサス第一巻第一表(昭和四四年度は第三表、昭和四五年度ないし昭和四八年度はいずれも第二表)、産業計・企業規模計・旧中新高卒男子労働者の全年齢平均賃金(昭和四三年四月及び五月は昭和四三年度の平均賃金、昭和四三年六月ないし昭和五一年五月までの間の各年六月から翌年五月までの一年間については各年度の平均賃金、昭和五一年六月以降は昭和五一度の平均賃金、すなわち、昭和四三年四月及び五月は一か月金五万九、九五八円、昭和四三年六月から一年間は金七一万九、五〇〇円、昭和四四年六月から一年間は金八一万八、六〇〇円、昭和四五年六月から一年間は金九七万八、三〇〇円、昭和四六年六月から一年間は金一一二万四、三〇〇円、昭和四七年六月から一年間は金一二九万七、三〇〇円、昭和四八年六月から一年間は金一五四万二、二〇〇円、昭和四九年六月から一年間は金一九五万三、〇〇〇円、昭和五〇年六月から一年間は金二二六万五、一〇〇円、昭和五一年六月から三七年間は毎年金二四八万五〇〇円)を下らぬ収入を得たものというべきところ(昭和四〇年以降毎年所得金額が増加してきたことは当裁判所に顕著な事実であり、口頭弁論終結に至るまでに確認しうべき上叙各年度の賃金センサスによる平均賃金は、逸失利益を算定するに当たつて斟酌するを相当とする。)、本件事故により亡榮人は右の得べかりし収入を喪失したものであり、その間の生活費は右収入の五割を越えないものと推認しうるから、以上を基礎とし、ライプニツツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して本件事故における亡榮人の逸失利益を算出すると、原告両名主張の金一、二七八万七、三〇〇円を下らないことは計算上明らかである。

被告は、被告の賠償すべき範囲は、亡榮人の自衛官在任期間内に発生した損害に限定されるべきである旨主張するが、債務不履行に基づく損害賠償義務者の賠償すべき範囲は、債務不履行と相当因果関係のある全損害に及ぶものというべきであるから、右主張は、安全配慮義務の存在する期間と当該義務の違背によつて生じる損害の範囲とを混同したもので、失当というほかない。

2  慰藉料

本件事故の態様、亡榮人の年齢、家族構成その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すると、亡榮人が本件事故により死亡したため被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、金四〇〇万円とみるを相当とする。

なお、原告両名は、主位的には原告両名固有の慰藉料を請求し、被告は、亡榮人を自衛官に任命した際、同人に対し、同人の両親である原告両名が同人の生命身体の安全について有する物質的・精神的利益を保護することを約した(第三者のためにする契約)旨あるいは雇用契約の目的及び信義則上かかる保護義務を負つた旨主張し、その根拠として、使用者は、一般に、雇用契約の締結及び履行に際し、被用者の家族状況に配慮し、被用者もかかる配慮を期待するものであることを指摘する。しかし、たとえ、雇用契約を締結するに当たつて、一般的に、被用者及びその家族が原告両名主張のような使用者の配慮を期待したとしても、それは事実上のものに止まるのであつて、使用者において、被用者に対する安全配慮に欠けるところがあり、そのため被用者が死亡する等した場合、使用者が被用者の家族に対し直接損害賠償義務を負うとする契約が締結されているものとか、雇用契約の目的ないし信義則上このような義務を負うべきものとは、到底解しえないところであつて(なお、本件全証拠によつても、亡榮人の自衛官任命の際、被告がかかる債務を負つたものと解すべき特段の事情は認められない。)、原告両名の右主位的請求は理由がないものというほかない。

3  原告両名の相続

原告高岡福松は亡榮人の父、原告高岡文子はその母であつて、亡榮人の相続人は原告両名以外に存在しないことは当事者間に争いがないから、原告両名は、亡榮人の死亡に伴い法定相続分に従い、亡榮人の右1、2の損害賠償請求権を二分の一あて、すなわち、各金八三九万三、六五〇円あて相続したことになる。

4  損害のてん補

本件事故により、原告両名が責任保険から各金五〇万円の支払を受けたこと、及び原告高岡福松が防衛庁職員給与法第二七条第一項の規定により準用される国家公務員災害補償法の規定に基づき遺族補償一時金金五九万七、〇〇〇円を受領したことは当事者間に争いがないから、原告両名の前記各金員から右各金員を差し引くと、原告高岡福松の被告に請求しうる損害額は金七二九万六、六五〇円となり、原告高岡文子の請求しうる損害額は金七八九万三、六五〇円となる。

なお、被告は、原告高岡福松が防衛庁職員給与法第二七条第一項の規定により準用される国家公務員災害補償法の規定に基づき支給を受けた葬祭補償金金三万五、八二〇円も同原告の損害に充当さるべきである旨主張するが、右は同原告が本訴で請求しない葬儀費用に関するものであるから、同原告の損害から控除すべき性質のものではない。

(むすび)

五 以上の次第であるから、原告両名の本訴請求は、被告に対し、原告高岡福松は金七二九万六、六五〇円、原告高岡文子は金七八九万三、六五〇円及び右各金員に対する昭和五〇年六月三日(<証拠略>によれば、被告に対する原告両名の損害賠償請求通知書は、同月二日被告に到達したことが認められる。なお、原告両名は、本件事故発生の日から遅延損害金の支払を求めるが、本件債務はいわゆる期限の定めのない債務であるところ、安全配慮義務の契約法的性格に徴すれば、債務者である被告は、民法第四一二条第三項の規定に定める一般原則に従い、履行の請求を受けた日の翌日から遅滞の責に任ずるものというべきである。)から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条及び第九三条の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項の規定を適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないから付さないものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 武居二郎 島内乗統 信濃孝一)

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